ゆるゆる映画雑記

書きたいと思ったとき適当に書く映画ブログ無責任系。基本的にネタバレです。ってかあらすじとか書かないので見る前に読んでもわけわかんないと思います。親切な作りじゃなくてごめんなさい。

クリード チャンプを継ぐ男

◇2015.12.23. @MOVIXつくば

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 友達が死にました。というか、10月に亡くなってました。それを知るきっかけがこの映画だったので、まずそこんとこを書きたいです。どうしても書きたいです。

 Sちゃんはすっごいいいヤツでした。それこそ友達がいっぱいいて、いっつも忙しくって、晩年は病気抱えて大変だったけど、わたしみたいなあれこれこじらせた人間にも「元気か?」とか近況聞いてきて、世話を焼こうとしてくれるような。あふれる愛を回りの人間にふりまいてふりまいて、50代そこそこで逝ってしまったよ。

 数年前、Sちゃんがガンになって抗がん治療始めて、マメな男だったから、治療がうまくいったとかつらいとかいまラーメン食べてるとかしょっちゅうFacebookにエントリー書いてて、なんでわたしもFacebook嫌いなのに「友達」一人だけで登録して、それをスマホでみてたんだけども、ここんとこチェックすることさえ忘れてた。きのう「クリード」みたらロッキーがガンになって化学療法で闘病するって設定で、それで思い出してSちゃんのページのぞいたら、顔の横に「追悼」って文字が出てて、いま、つくづく思ってる。わたしは、薄情で、無精で、恩知らずです。

 

 わたし、映画ってものすごく個人的なものだと思います。映画観るとき、自分が置かれた状況とか、気分とか環境とか、あるいはもともとの性格とか資質とかと切り離すことはできないんじゃないでしょうか。で、それは作る側も同じ場合があるようで、この映画のライアン・クーグラー監督は、もともとお父さんの影響で「ロッキー」の大ファンだったそうですが、今回脚本を書くにあたってそのお父さんが病気になったことを反映させてる、これはとてもパーソナルな映画だ、と言ってます。また「ロッキー」はスタローンにとってもパーソナルな映画だと。それはそうでしょう。売れない役者だったスタローンが自身を投影させて作ったのが「ロッキー」で、スタローンはロッキーを演じながらその時代その時代を生き、年を重ねていったのでしょうから。

 

 この映画の主人公、マイケル・B・ジョーダン演じるアポロの息子、アドニスは、父親ゆずりの才能と情熱を持つがゆえに自分が何者かわからず悩んでいる。もう一人の主人公、ロッキーは、最愛の妻が死に、友達が死に、子供とも疎遠になって、孤独を抱えながら日々の暮らしを営んでいる。実体としての父親を知らない子、人生を賭けてきたものを子供に渡せない父親。二人が出会うと、アドニスはロッキーに父親像を重ねボクシングと共に人生の教えを乞い、ロッキーはアドニスを自身のボクシングへの情熱とスタイルを受け継ぐ正統な跡継ぎとして指導するようになる。実に真っ当な、そして幸せな邂逅ではないでしょうか。わたしこれはロッキー版「グラントリノ」だと思いました。

 そしてそれは「ロッキー」を生み出した映画人スタローンとクーグラー監督の関係にも当てはまるのではないでしょうか。この映画、ほぼ全編にわたってヒップホップナンバーが使われるなど、主人公と監督のバックグラウンドであるアフロアメリカンのカルチャーが色濃いものになってて、物語の主人公が「ロッキー」から「クリード」に受け継がれたことをしっかりと印象づけている(もちろん要所要所で「ロッキー」のテーマのさわりが流れる、その加減が絶妙!)。中盤の試合のシーンの長回し(どうカメラを動かすか綿密に決めてあったのか、とにかくすごい)などの斬新なアイデアとチャレンジ精神があったからこそ、スタローンは自分自身の人生であった「ロッキー」をクーグラー監督という新しい時代の新しい才能に手渡したのではないでしょうか。

 

 SちゃんのFacebookのアイコンは闘病中の顔写真で、目をぎょろっとさせてこっちを見てて、ぜんぜん似てはいないんだけど、わたしは昨日スクリーンで見たロッキーの姿を思い出しました。髪がぬけ、死んだポーリーの帽子をかぶって、目のあたりがしわしわになり、大きな体がしぼんでみえたロッキー。みんなを愛し、みんなに愛された人が老いて、死に直面していて、わたしは泣けてしょうがなかったんですけども(スタローンの演技すばらしかったです。アカデミー賞絶対獲ってほしい)、Sちゃんみたいないいヤツが死んじゃって、なんかまたぐちゃぐちゃになって大声上げてわんわん泣いて、そしてまた、死は誰にとっても不可避なもので、誰にもどうすることもできなくて、けれどもわたしは生きていて、明日も生きていくんだなあと思っているのです。

 映画ってとても個人的なものです。わたしこれから「クリード」のロッキー見るたびに、Sという、でっかい、汗っかきの、ラーメンとAVが大好きな、すっごいいい男のことを思い出すんだろうなと。

 Sちゃん、ありがとう。どうか安らかに眠ってください。

 

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

 

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密

◇2015.3.13 @TOHOシネマズ流山おおたかの森

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<公式>映画『イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密』オフィシャルサイト|3月13日(金)ロードショー

 

≪一言コメント≫

「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」。知られざる天才の偉業と運命の皮肉。ストーリーは壮大で、ヒューマニズムを中心に据えながら戦争の悲惨さや国家の冷徹さまで描き切っている。セリフも秀逸。脚本のうまさが光る。★★★★☆

 

≪まえがき≫

 ベネディクト・カンバーバッチエディ・レッドメイン。「イミテーション・ゲーム」と「博士と彼女のセオリー」。同じ英国人の俳優が、学者が主人公の史実もの作品で同日公開ガチンコ対決って、「すごいことになってんなーこれマジかー」って思ってました。先日TSUTAYAの棚をつらつら眺めてたらエディ・レッドメインがやったホーキング博士をカンバーバッチもBBCのドラマでやってたって知って、なんていうか因縁めいた2人ですね。話題性十分です。戦略的には日程バラすよりガチンコで当てたほうが相乗効果が望めるってことかもしれず、だとしたらやすやすと術中にはまってますw

 公開は金曜日だったのですが、ちょうどダンナも休暇だったので両方はしごして見てきました。公開日の初回に見るって人生で初めてかもしれないです。実力派で人気者のカンバーバッチ主演作ってこともあって、平日朝なのにそれなりに人が入っていました。やっぱシニア世代が大半でしたね。

 史実ものなんで話の流れはだいたい知っていましたが、そもそもつくばではやらないのでトレーラーも見ていませんし、自分から積極的に情報を入れることはしていません。エディ・レッドメインの「彼女と博士のセオリー」もそうなんですけどつくばは博士だらけの街なんで、こういう土地柄でこの映画かけないのはどうなのかなーとは思いましたね。いやぶっちゃけ学者は映画なんか見てる時間とかないのかもしれなさそうできてもたいした客入りは見込めないかもしれませんw

 

≪ネタバレ感想≫


「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」に関する感想・評価 / coco 映画レビュー

 

 いやーものすごい映画でした。まず最初に言いたいのは、とにかく視点が俯瞰的というか重層的だってことです。主人公アラン・チューリング“I”の絶対的な孤独。天才ゆえに誰にも理解されず、唯一の理解者であり愛情を捧げた友人を若くして亡くしています。そのチューリングエニグマの解読という難題に取り組むうちに徐々に他を受け入れていき、仲間という“We”を築いていく。さらに、第二次大戦中という時代のイギリスや連合国側の思惑や彼の名が歴史に埋もれることになる運命などなど、大局的で冷徹な“It”の流れ。私小説であり成長譚であり歴史秘話であるという、しかもどの要素も過不足なく描かれているというすごさ。歴史上の人物の伝記ものって、えてしてこじんまりまとまっていることが多いと思うんですけど、この映画はスケールが大きいですよね。こういうの好きなんです。

 主人公のチューリングは情熱的な人なのに論理的科学的アプローチしかできないっていう、いびつなキャラの持ち主です。頭良すぎてコミュ障、まあ天才の一つの類型だと思うんですけども、周囲にうまくなじめないしなじもうともしていない。この映画脚本がすばらしくって、印象的な会話がいっぱいあったんですけども、同僚からランチに誘われるシーンの主人公のコミュ障表現ったらすばらしかったですね。理系脳のイヤミ。「俺たちはこれからランチに行くけど」と言われたら、それは質問ではないから答えない。言外の意味とか与しないんです。あのやりとりは面白かったなー。

 でも“It”は、国家というか運命は、チューリングの才能をちゃんとわかっていた。エニグマに対抗するマシンを作るにはお金がかかるというと、軍は資金提供を拒否する。上に話したってしょうがないとわかるとチューリングは目的あるのみの空気読まない人だから何と上の上、チャーチル首相に手紙なんか書いちゃうww 手紙一本で予算がついてチームの責任者になっちゃうってすごいプレゼン能力だと思いますが、実際はチャーチルは手紙なんか読んでなくて内務省というかMI6がすべて理解し差配したってことなんでしょう。この映画のこういう“It”の大局観の描き方はとても面白くって、ソ連のダブルスパイを最初っからわかっててチームに入れてたことがわかるくだりあたりはですね、「MI6こええええ」って思いました。

 暗号解読に成功した後に訪れる運命の皮肉にも、主人公の報われなさに複雑な思いを抱くと思います。ドイツ軍に悟られないよう戦局を見ながら「生かす命」と「生かさない命」を計算する、その根底にある冷徹な大局観。映画では解読成功後の戦略を考えたのがチューリング本人ということになっていて、自分が巻き込まれる皮肉な運命を誰よりも理解していた天才の、天才ゆえの悲哀に心を揺さぶられました(このあたりのシーンは史実うんぬんより映画的な見せ方が必要で、脚本の腕の見せどころだと思うのですが、チームの一人の兄が乗っている船が危ないという分析から今すぐ軍に知らせる、いや知らせないのケンカに発展し、、という流れでコンパクトに無理なく、しかも印象的に状況を理解させていたと思います)。

 “We”の形成過程もいいです。仲間と一緒に何かをクリエイトする喜びと苦悩、それを共有し互いを理解しあうことで結ばれていく絆。仲間たちのキャラクター付けがすばらしくって、主人公の良き理解者で、外界をつなぐ橋渡しを買って出た女性ジョーン・クラークの現実的でしなやかな生き方ときたら! チューリングが同性愛者なのを隠して婚約したといったら、「それが何なの。それでもお互いを理解してれば楽しくやっていけるんじゃない」といい放ったときは大泣きしました。チューリングが辞めさせられそうになっとき「だったら自分も辞めます」ってヒュー・アレキサンダーがかばったときも泣いたです。映画を一緒にみたダンナはエニグマ解読のチームの一連のくだりは青春映画だと話してました。終戦後書類を燃やすシーンが「キャンプファイヤーだ、あれが青春の終わりなんだ」と。まったく同感です。

 いろいろだらだら書いてますが、やっぱりこの作品のよさは脚本によるところが大きくて、脚色を担当したグレアム・ムーアのアカデミー脚色賞の受賞スピーチがこの作品のスピリットを表現していると思うんです。壮絶ないじめにあった。同性愛者である。女性である。社会に疎外感を持っていたり、あるいは不当に傷つけられたり苦しめられている人に「がんばれ」「負けるな」っていってる。失意のチューリングをジョーンが励ます「あなたが変わり者だから、世界はすばらしい」というセリフの壮大なヒューマニズム。傷つき苦しみながら毎日を懸命に生きるすべての人へのメッセージです。あなたはゲイだからすばらしい、あなたは女性だからすばらしいんです。

 わたしあんまりカンバーバッチのこと知りませんが、この作品が彼の代表作となることは衆目の一致するところかと思います。「SHERLOCK」の延長線上にありそうな役柄は得意分野といえば得意分野でしょうが、繊細な演技が圧倒的でした。アカデミー主演男優賞エディ・レッドメインの手に渡りましたが(マイケル・キートンという大本命もいましたが)、作品としてはこっちの方が断然面白く(一概に比べられませんが。エディのファンの方ごめんなさい)、この作品でカンバーバッチがとってもよかったんだよなーとマジで思います。ってかカンバーバッチすばらしいです。英国の宝ですね。ばんざい!!

 

≪参考≫

本作でアカデミー脚色賞をとったグレアム・ムーアのスピーチ

アカデミー賞「脚色賞」に輝いたグレアム・ムーア、感動の受賞スピーチが話題に | GENXY

 

cocoのマイページです。

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プリデスティネーション

◇2015.3.6 @シネプレックスつくば

『プリデスティネーション』予告編 - YouTube

 

≪一言コメント≫

「プリデスティネーション」すっごい面白かったです。けど、何も書けません。言いたいのに言えない奥歯にものが挟まった感、かゆいのにかけない隔靴掻痒感。cocoだけで連ツイとかとかそういう問題でもなさそうなので、ブログ立ち上げたw★★★★


「プリデスティネーション」に関する感想・評価 / coco 映画レビュー

 

≪まえがき≫

 というわけで、書きたいけど書けない感があまりに強かったんで、ネタバレブログを始めちゃいましたww

 そもそも公開当日からわたしのTLは熱狂的な信者と化した方々の絶賛と「禁ネタバレ」の厳しい戒めの声であふれていました。映画を見て何か一言でも禁止ワードをうっかりもらすと、未見の人よりむしろすでに見た人の激しい怒りを買うんじゃないか。TLが殺気だって見えたほどです。結果、すごくよさそうなんだけど、どこがどういいのかイマイチわかんない。でもやっぱり間違いないらしい。なんだかふにゃふにゃした確信ですが、みなさまを信じて見に行ったんですよ。

 すっごく面白かったです。そしてこの映画を鑑賞するにあたってネタバレがいかに相対価値を下げるかということもよく理解できました。もちろんそのへんに配慮してのことでしょうけど、ポスターや予告編は当たり障りがないというか、イノセントなつくりになっていますので、見る前にはそれ以外のものは目にしないくらいがちょうどいいのではないかと思いました。

 いわば「ストーリーが命」なわけですけども、難解な語り口で進むわけではないので、映画のセオリー的なものをよく理解し先を読んじゃう人は、けっこう初めの方でいろいろわかっちゃうらしいですね。ダンナはわかったそうです。わたしはぼやーっとしかわからなかったですけどw いやもしかしたらいまも見落としててわかってるつもりになってるけどわかってないところがあるかもしれないw  

    ただ話が進むにつれてすべてがつながってくるプロセスがめちゃくちゃ気持ちいいんで、あまり先を読もうとしないで、場面とかセリフすべてが伏線と思って丹念に追うことだけ心掛けて、受動的に身を任せたほうが楽しめていいんじゃないでしょうか。コストパフォーマンス的にそのほうがいいかとww

 

≪ネタバレ感想≫


映画『プリデスティネーション』公式サイト

 究極の「自分オチ」映画です。追うのも自分なら、追われるのも自分。愛するのも自分なら、愛されるのも自分。自分以外ほとんど誰も介在しない、時空に囚われたままの、きれいな宿命の輪っか。連続爆破テロの犯行は誰にも顧みられない絶対的な孤独を抱える主人公の、自分以外=社会に残す「爪あと」なんでしょうね。

 この主人公、ジェーン/ジョン/バーテンダーは、人間の普遍的なありようを一人の人物に体現してるんじゃないかとも思いました。真偽。愛憎。男性的なるものと女性的なるもの。あるいは、犯人を追いつめる「善」と次々に犯行を重ねる「悪」。人間とは本来両面性をあわせもっていて、普通はその両面に境界線も矛盾もありません。どこかで悪循環を断ち切らねばならないとわかっているのに自分に甘え自分に溺れていくところもまた、非常にありがちというか普遍的です。人間の弱さ悲しさですよね。みんな自己に囚われている。わかっちゃいるけどやめられないんです。すごく共感しますし、感情移入しました。

 ただ、違和感もあったんです。「人間は心理学的には自分と同じ環境や考え方の者に惹かれ、生物学的には自分と違う見た目の者に惹かれる」という一般論に照らし合わせてですけど、主人公の究極の自己愛は気持ち的にはアリでも、本能的な嫌悪感がないものだろうか。一応「鏡は見なくなってたから自分がどんな顔だったかも忘れていた」とか整合性のある設定になっていましたし、そもそもハインラインの原作(未読です。。)自体がそういう話なんだろうからそこに突っ込んでもしょうがないですけどw

 それと、これも原作がどんなニュアンスで表現しているか調べてもいないんですが(すみません。。)、「自分と自分が交わってできる自分のクローン」という存在が、不気味なというかインモラルなというか、なんとも薄暗い感じでショックでしたね。主人公は自らの罪の印である自分という生命を自ら産み落とした。つまり、生まれた時から罪深い存在である(これもキリスト教の「原罪」に通じる普遍的な概念だと思います)。自分の罪を強く意識し倫理のたががはずれたことが、大量殺戮という行為につながったとも読めます。映画はほとんどのシーンが薄暗く撮られていて、主人公の孤独とモヤモヤした後ろめたさが表現されていたように思うのです(唯一宇宙での特殊任務の訓練中だけが希望を反映するかのような明るいトーンでした)。

 両性具有、インターセックスって、LGBTがまがりなりにも認知を得つつある現代でもよく知られてなくて、いやわたしまったく理解していませんけれども、LGBTのどれでもないし身体的精神的にその人その人だし、たぶん究極の性的マイノリティだと思うんです。この映画を見て、性のアイデンティティを喪失するってどんなにつらいか想像させられ、胸がえぐられました。直接的にインターセックスをテーマにした作品はこれまでもあったらしいですが、この映画も性の多様性へ向かう今の社会を背景に作られたのではないか。そう考えるのはうがちすぎでしょうか。

 とりあえずこの主人公があのギターケースのタイムマシンで2015年に来てくれていれば、ネットもあるしレインボームーブメントもあるしで自分の人生に他者を介在させようと思うこともあるかもしれず、そしたらちょっとは明るい人生になったのかもしれないと思います。

 

≪参考ブログ≫

ブログデンティティー プリデスティネーション

複雑なストーリーをていねいにまとめてらっしゃってて大変参考になりました!

 

aosagi0805 さんのマイページ / 映画レビューサイト coco

自分のcocoのマイページも貼っておきます。

 

≪追記≫ 2015.8.17

 インターセックスは身体的な疾患であり、はっきりした性自認を持って男性/女性として普通に暮らしている方がほとんどなので、上記の「(インターセックスが)たぶん究極のセクシャルマイノリティだと思う」との記述は間違いというか十分な書き方ではなかったです。お詫び訂正申し上げます。

 別の性を生きなければならなくなったことによって図らずもジェンダーの問題を抱えることになった主人公は「究極のセクシャルマイノリティ」といえるかもしれませんが、インターセックスセクシャルマイノリティではないし、それ自体を周囲が過剰に悲劇的にとらえる必要はないのではないかと思います。

 

 

ブログを書こうと思ったわけ

 

 「映画が好き」といっても、ものすごく中途半端です。寝食忘れて映画を見まくったことなどありませんし、たぶん眠いのに映画見るなんてできない。。。映画とは総合芸術であり歴史であり文化であり社会であり心理学であり哲学であり科学であり技術であり、そして何より人間理解であるので、つまり映画の理解には到達点がないので、それを生業とすることはどこに向かっていけばいいかもわからずただひたらすら努力し続けなければならない茨の道の「求道者」になることです。才能がないのはさておき、そこに向かって努力し続けることすら選択していないのですから、そんなに「映画が好き」だともいえないのではないかと思います。劇場で見る映画も年間100本に満ちません。っていうか、映画のことはあんまり知りません。

 

 中学生のときに「映画ノート」なる感想雑記帳をつけていました。1か月の小遣いが2500円ですから、月に映画を1本見るかアルバム1枚買えば終わりです。ロードショーなんてめったに行けないので、「ゴールデン洋画劇場」とか深夜帯にテレビでやってた編集しまくりの映画を見ては、B5版の大学ノートにつたない感想を備忘録的につづっていました。2年くらい続いたでしょうか。いつの間にかやめて、そのノートも捨てたんだか燃やしたんだかで手元にはありません。

 

 大人になって見られる映画は多くなりましたが、時間がないだなんだを言い訳に感想をきちんとつづることをしなくなった。なんだかやるべきことから逃げているような、うしろめたい気持ちがずーっとありました。それでいまちょっと時間もあるので、とりあえずそのうしろめたい気持ちから解放されたいと思ったのがブログを書こうと思ったきっかけです。

  

 なんでこのブログはいわば、中学生のときにつけていた「映画ノート」の続きです。いたって中途半端だけど、とりあえず「映画が好き」という思いを誰かに伝えたいと思って書き始めることにします。具体的には、ネタバレしたりするのが申し訳ないからツイッターとかではつぶやけないし、でもどうしても書きたい、書かなければみたいな、そういうときに書こうと思っているくらいで、ポリシーとかビジョンとかありません。なんせ中途半端ですから、中学生のときみたいにやめてWWW上に放っておいてしまうかもしれません。あまり調べたりもしていませんので、まあ間違いがあったらご指摘いただきたいんですけども、「感想」が「正しい」かどうかについての議論はするつもりはありませんのでお許しいただけますと幸いです。

 

 真面目に求道者になれないフツーの人は「ここらへんでいいかー」ってところで適当に線を引いて映画とつきあうしかないので、ホント極私的というか、適当なブログですみません。あとブログ初心者なんでそのへんも勉強しながらいろいろ盛っていこうと思います。

 

 あと、備忘録的にはcocoで星を付けています(すみませんそれも滞りがちですが。。)

aosagi0805 さんのマイページ / 映画レビューサイト coco

 

 ああもう一つ。いろんな人の意見を読むのは本当に楽しいので、書くにあたって参考にさせていただいたブログや書き込み等のリンクを貼らせていただければと思うのです。あと、幸いにしてダンナも映画好き(というか映画が縁で知り合いました)なので、ダンナの見解なども盛り込んでいきたいと思います。ケンカに発展することも多々あるのですが、違った観点から映画を見て率直に意見交換できるダンナという存在があってこその、わたしの映画鑑賞記なので。