ゆるゆる映画雑記

書きたいと思ったとき適当に書く映画ブログ無責任系。基本的にネタバレです。ってかあらすじとか書かないので見る前に読んでもわけわかんないと思います。親切な作りじゃなくてごめんなさい。

プリデスティネーション

◇2015.3.6 @シネプレックスつくば

『プリデスティネーション』予告編 - YouTube

 

≪一言コメント≫

「プリデスティネーション」すっごい面白かったです。けど、何も書けません。言いたいのに言えない奥歯にものが挟まった感、かゆいのにかけない隔靴掻痒感。cocoだけで連ツイとかとかそういう問題でもなさそうなので、ブログ立ち上げたw★★★★


「プリデスティネーション」に関する感想・評価 / coco 映画レビュー

 

≪まえがき≫

 というわけで、書きたいけど書けない感があまりに強かったんで、ネタバレブログを始めちゃいましたww

 そもそも公開当日からわたしのTLは熱狂的な信者と化した方々の絶賛と「禁ネタバレ」の厳しい戒めの声であふれていました。映画を見て何か一言でも禁止ワードをうっかりもらすと、未見の人よりむしろすでに見た人の激しい怒りを買うんじゃないか。TLが殺気だって見えたほどです。結果、すごくよさそうなんだけど、どこがどういいのかイマイチわかんない。でもやっぱり間違いないらしい。なんだかふにゃふにゃした確信ですが、みなさまを信じて見に行ったんですよ。

 すっごく面白かったです。そしてこの映画を鑑賞するにあたってネタバレがいかに相対価値を下げるかということもよく理解できました。もちろんそのへんに配慮してのことでしょうけど、ポスターや予告編は当たり障りがないというか、イノセントなつくりになっていますので、見る前にはそれ以外のものは目にしないくらいがちょうどいいのではないかと思いました。

 いわば「ストーリーが命」なわけですけども、難解な語り口で進むわけではないので、映画のセオリー的なものをよく理解し先を読んじゃう人は、けっこう初めの方でいろいろわかっちゃうらしいですね。ダンナはわかったそうです。わたしはぼやーっとしかわからなかったですけどw いやもしかしたらいまも見落としててわかってるつもりになってるけどわかってないところがあるかもしれないw  

    ただ話が進むにつれてすべてがつながってくるプロセスがめちゃくちゃ気持ちいいんで、あまり先を読もうとしないで、場面とかセリフすべてが伏線と思って丹念に追うことだけ心掛けて、受動的に身を任せたほうが楽しめていいんじゃないでしょうか。コストパフォーマンス的にそのほうがいいかとww

 

≪ネタバレ感想≫


映画『プリデスティネーション』公式サイト

 究極の「自分オチ」映画です。追うのも自分なら、追われるのも自分。愛するのも自分なら、愛されるのも自分。自分以外ほとんど誰も介在しない、時空に囚われたままの、きれいな宿命の輪っか。連続爆破テロの犯行は誰にも顧みられない絶対的な孤独を抱える主人公の、自分以外=社会に残す「爪あと」なんでしょうね。

 この主人公、ジェーン/ジョン/バーテンダーは、人間の普遍的なありようを一人の人物に体現してるんじゃないかとも思いました。真偽。愛憎。男性的なるものと女性的なるもの。あるいは、犯人を追いつめる「善」と次々に犯行を重ねる「悪」。人間とは本来両面性をあわせもっていて、普通はその両面に境界線も矛盾もありません。どこかで悪循環を断ち切らねばならないとわかっているのに自分に甘え自分に溺れていくところもまた、非常にありがちというか普遍的です。人間の弱さ悲しさですよね。みんな自己に囚われている。わかっちゃいるけどやめられないんです。すごく共感しますし、感情移入しました。

 ただ、違和感もあったんです。「人間は心理学的には自分と同じ環境や考え方の者に惹かれ、生物学的には自分と違う見た目の者に惹かれる」という一般論に照らし合わせてですけど、主人公の究極の自己愛は気持ち的にはアリでも、本能的な嫌悪感がないものだろうか。一応「鏡は見なくなってたから自分がどんな顔だったかも忘れていた」とか整合性のある設定になっていましたし、そもそもハインラインの原作(未読です。。)自体がそういう話なんだろうからそこに突っ込んでもしょうがないですけどw

 それと、これも原作がどんなニュアンスで表現しているか調べてもいないんですが(すみません。。)、「自分と自分が交わってできる自分のクローン」という存在が、不気味なというかインモラルなというか、なんとも薄暗い感じでショックでしたね。主人公は自らの罪の印である自分という生命を自ら産み落とした。つまり、生まれた時から罪深い存在である(これもキリスト教の「原罪」に通じる普遍的な概念だと思います)。自分の罪を強く意識し倫理のたががはずれたことが、大量殺戮という行為につながったとも読めます。映画はほとんどのシーンが薄暗く撮られていて、主人公の孤独とモヤモヤした後ろめたさが表現されていたように思うのです(唯一宇宙での特殊任務の訓練中だけが希望を反映するかのような明るいトーンでした)。

 両性具有、インターセックスって、LGBTがまがりなりにも認知を得つつある現代でもよく知られてなくて、いやわたしまったく理解していませんけれども、LGBTのどれでもないし身体的精神的にその人その人だし、たぶん究極の性的マイノリティだと思うんです。この映画を見て、性のアイデンティティを喪失するってどんなにつらいか想像させられ、胸がえぐられました。直接的にインターセックスをテーマにした作品はこれまでもあったらしいですが、この映画も性の多様性へ向かう今の社会を背景に作られたのではないか。そう考えるのはうがちすぎでしょうか。

 とりあえずこの主人公があのギターケースのタイムマシンで2015年に来てくれていれば、ネットもあるしレインボームーブメントもあるしで自分の人生に他者を介在させようと思うこともあるかもしれず、そしたらちょっとは明るい人生になったのかもしれないと思います。

 

≪参考ブログ≫

ブログデンティティー プリデスティネーション

複雑なストーリーをていねいにまとめてらっしゃってて大変参考になりました!

 

aosagi0805 さんのマイページ / 映画レビューサイト coco

自分のcocoのマイページも貼っておきます。

 

≪追記≫ 2015.8.17

 インターセックスは身体的な疾患であり、はっきりした性自認を持って男性/女性として普通に暮らしている方がほとんどなので、上記の「(インターセックスが)たぶん究極のセクシャルマイノリティだと思う」との記述は間違いというか十分な書き方ではなかったです。お詫び訂正申し上げます。

 別の性を生きなければならなくなったことによって図らずもジェンダーの問題を抱えることになった主人公は「究極のセクシャルマイノリティ」といえるかもしれませんが、インターセックスセクシャルマイノリティではないし、それ自体を周囲が過剰に悲劇的にとらえる必要はないのではないかと思います。